ななぶん第三号 感想

『Vladmira』 戸松秋茄子

 単なるハッピーエンド、あるいは単なるバッドエンドではなく、筋は通っていてこれが最善のような気もするんだけどすべてが円満なわけではない終わり方、こういうところに作者の関心があるのだろうというのは、第一号からも読み取れるような点です。わかりやすい救いが存在しないような世界で、何もかも全部投げ出して終わりにしたいという気持ちがありながらもなんとか正しそうに思える行動を取るというのは、なにかしら重要そうだという直感は僕にもあります。もちろん、根拠がなくても善く生きるべきなのはなぜかという根拠は原理的に絶対わからないものなのですが……(この意味で、神は理性的に要請されるものだというのもわかる気がします)。
 それにしても本作はなかなか感傷的な描き方がなされていて、多少意外に感じるところもあります。心の揺れ動きに関するイメージとしては同作者のブログにある『ひとりごっこ』に近い何かを感じるようなシーンがいくらか見られるような気がしました(読んだのは結構前のことなので間違っているかもしれませんが)。たぶん、人とコミュニケーションを取ることはこの世の問題から少し目をそらす方法の一つであって、それがうまく出来ないキャラクターというのはこうなるのではないかという点が似通っているのではないかと思います。
 野球の描写満載ですし、そのへんはやりたい放題だなと。野球に詳しくない状態で読んだらどんな印象を受けるのか気になります(僕にはもう無理な話ですが)。あと名前的にバレンティ……が思い浮かんだりしたけど彼は頭文字がVではなくWですねなどとどうでもいいことを思ったり。さらに横道にそれると、作者が巨人ファンだったか阪神ファンだったかいつもわからなくなります。大阪の人というイメージが強いので虎党のイメージが入り込んでくるのですが、もし巨人ファンじゃなければ巨人ファンというイメージが混ざる余地がないからたぶん巨人ファンなんだろうなと思っています。(※あとがきに巨人ファンと書いてありました)

『蝶の羽ばたきのその後で』 辻城友兎

 長さの関係からか説明的にならざるを得ない感じだったのはちょっと残念ですが、アイデアが面白いしafter storyというテーマをうまく使えていると思いました。しかしこのafter storyというテーマはおしゃれに書こうとするとどうしても悲しい感じの話になりがちなのではないでしょうか。当然afterの前には何かメインのものがあったわけで、あえてメインではないものを描写するとなるとどうしてもそこに屈折したものが出てきそうだなと。ある意味それが僕らの人生というわけでもあるのかもしれませんが。

『エンドロール』 瓜羽

 料理に詳しくなさすぎてどの材料がどういう役割に当てられているみたいなことがさっぱりわからないすね。ううむ。しかしまたこれは全力で突っ走っているというかなんというか。ドラマとかそんな時間にやってるものなのかわからないし、そういえば料理番組も見たことがない完全に異世界。世の中にはこんな世界もあるのかみたいなよくわからない感想になりました。

『あめだま』 布乃々子

 一読して叙述系のトリックを疑ってしまい、慌てて読みなおすなどしてしまいました。いけませんね、どの作品にも仕掛けを疑う精神。
 一応悲しい話ではあるのかな。僕は正直あまり現在のものとかことにこだわる方ではないので、作中で一番悲しそうなキャラクターがあまり悲しそうな状況にあると思えないのですね。一方で思い出を大事にするような過去志向みたいなのも、なるほどそういうのがありえるのかという感じでして、世の中いろいろな感性があるのだなぁという感じになります。

『死神さんのノートと終わりの世界』 藍上踊

 こういう自意識ムンムンの小説最高じゃないですか。最高ではないですか。でもこれ商業誌でやられたらたぶん僕はあまり好きにならないんでしょうね。突然ですが僕は『Angel Beats!』を全く評価していません。でも今見直したら変わるかも。藍上さんの鬱屈が作品をまたいで登場する「ギフテッド」に込められているとするのは考えすぎでしょうか、僕の鬱屈を混ぜすぎでしょうか。僕はすぐいろんなことに「なにもわからない」と言ってしまいます。でももしかしたら物語を作れるのかもしれないなんて。はじめまして、自意識です。
 落ち着いて考えると、やっぱり技量が足りてないんじゃないかなと思います。やりたいことはわかる気がするけど。でも技量が高まったからってどうということでもないような気もします。とするとどうしようもない話をしようとしているのではありませんか。語れないことを語ろうとする、それはやはり語れるものをできるだけ列挙していって自然と語れないものが浮き彫りになるのを待つという営みなのかもしれませんね。作品に引きづられて感想も意味不明になってしまいました。

『ブルーフェイス事件のあとがき』 伊佐奈秋弥

 これはまた味がある感じで、主人公を失った主人公の振る舞いにスポットが当たるとは。after storyと言って暗い話を思い浮かべる人が多いみたいですが、この作品だと割と純粋な感じで「物語の再構成」みたいになっていませんか。after storyをそういうふうに解釈することもできるはずで、素直に良い感じだなと思いました。でもやっぱり少し話がとっちらかってる印象を受けまして(怪談部分とか実は具体的な内容描写いらないのではとか)、僕みたいな人間はもっと主人公だけに描写を絞って自意識バリバリでうぉーみたいなのが好みだったりします。まぁこれは好みの問題ですかね。
 無粋とはわかっていながら言いますが、もしかして132ページ上段12行目は的じゃなくて敵ですか。

おわりに

 第一号、第二号ではあまりテーマに沿った読み方ができなかったので今回はかなり意識しました。after storyですよafter story。でもやはり藍上さんとは一つ世代が違う感じなのでしょうかね。あるいは僕があまりそっち方面への興味がなかったというだけなのかもしれませんが。でもafter storyと聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは、物語が終わってすべての価値という価値に根拠がなくなってしまう世界ではあるのです。大きな物語の終焉とかそういうイメージです。価値はある、価値があるっぽいものはあるのですが、その価値の根拠が無い。僕は今の世界がそんな感じに見えるときがあるのです。そんな中では、やはり個人が物語を生み出していくしかないのではないでしょうか。そして僕はまだ現実の上で物語を生み出すことを諦めてはいません。いつか諦めるときが来たら、そしたら紙の上に物語を作り始めるのかもしれません。
 大変面白いアンソロジーでした。どうもありがとうございました。

ななぶん第一号感想(第三号直前に書いたもの)
ななぶん第二号感想(一年前に書いたもの)
ななぶん第三号感想(この記事)

ななぶん第一号 感想

『いつかまた、放課後の図書館で』 辻城友兎

 初めて読んだときも思いましたが、本を読むことと書くことの楽しさ、素晴らしさを素直に表現できるというのは本当に羨ましいことなのです。僕はどうしてもそこに無力さを感じてしまい、本を読んでいていくら楽しくても結局そこに意味はないと思ってしまいます。そうしたメタ的な視点はおそらく間違っているもので、この作品のようにそれ自体を楽しむことができれば一番良いのです。もしかしたら作者の方もそれをわかっていて自覚的に書いているのではないかと思うのですが、僕はそれが明示的に書かれていないと不安になってしまうのですね。だからやはりこの作品に対する一番の感想は「羨ましい」ということになってしまうのです。

『うたたねする灰色のペンギン』 瓜羽

 文章の真面目さがころころ変わるしすごく気分とかノリで書いてそうなのに作品として成り立つあたりが本当にすごくてきっと僕には真似できないなぁとか思ってしまいます。僕自身は小説なんて書いたことないけれど、同人誌を読むとどうしても自分だったらこれを書けるだろうかみたいなことを考えてしまいます。この作品に関しては多分狙ってやっても似たようにはならないしすごいなぁというのが正直なところです。でも羨ましいとは思いません。  本が別次元からの襲来者として立ち現われているのは面白いところです。それなのに主人公を案内してくれるのはこの世界なのです。僕らは本の世界にはいけないけど、本に導かれてこの世界を少し良い感じに生きることができるのかもしれません。結局生きることができる世界はこの世界以外にはありえないのですから。そうはわかっていても僕はこの世界にこの世界ではないものを生み出したいと思ってしまいます。それは多分僕がまだ若いからで、何がしかを諦めきれていないからで、こんな気持ちが死んでしまうのもそう遠い未来ではないのかもしれません。

 43ページ下段19行目は「テーブル席"に"座り」かなと思った。(脱字だとしてそれを指摘することに意味なんて無いと思います)

『ビブリオテーカー』 蔦井雪奈

 バチバチのライトノベルっていうのはこういう作品のことを言うんじゃないかと思います。現実のおかしなところを誇張して極端にしてストーリーと設定でバシッと見せる、これがかっこいいんですよね。でもやっぱりこの長さではいろいろ制限が厳しすぎて難しいのではないかなとも。

『your book』 戸松秋茄子

 最後の期待を捨てきれないところがとても好きです。やりきれない期待に身を焦がされるとかそういう人(らしきもの)の心の根本的な不完全さは深く追求していきたい話であります。その上でやはり僕は人間的な不完全さを超越するポスト・ヒューマン的な考え方にとらわれているような面があることは否定しきれないかもしれません。その意味で端末に宿る人格というのはひとつの超越的なあり方なのではありますが、人間らしさが残る限りやはり人間的な欠点からは逃れられなさそうです。人間性を超越するということはある意味今の人間から見た虫のようになることなのではないかと考えています(感想から離れてきた)。理屈っぽく話を作っていく作者さんみたいだしやはり第一感が間違ってなかったと思ったのが印象深いです。

『立ち姿の美しい女』 露木谷産

 僕はあんまりこの手の作品を読まないので、小説ってこういう書き方もできるんだーという感じになりました。私小説を書いているという体の小説というなんだかよくわからない構造を読み解く訓練をしたことがないので、本当はもっと多くの情報、面白さを読み込むことができるのだろうなぁと思います。やはり食わず嫌いせずにいろいろな本を読むべきなんだろうというのはわかっているつもりでもなかなか実行できたことではありません。そういう意味でこういうアンソロジーというのは新鮮で面白いですね。

『真夜中のキャノンボール』 二葉ケイコウ

 詩、なにもわからなくないですか。ペーパー? の方で藍上さんが「詩というのは、率直で良い」ということをおっしゃっていますが、これは率直なのでしょうか。率直という感覚がかなり違う気がします。何をどう読んでいいのかさっぱりですが、嫌いではないです。むしろ好き。

『選択肢の無い本』 藍上踊

 この作品こそ僕の考える「率直」な作品であります。冒頭いきなり嫌なことについて単に「嫌でしょ」じゃなくて「絶対に嫌でしょ」と言い出すあたりが最高です。もうなにもかもそのままじゃないですか。これを書いていて恥ずかしくならないんでしょうか。僕は読んでいるだけで恥ずかしくなってしまいます。twitterを見ていても少し思うのですが、僕はこの作者さんと近い部分があって、それっていうのがかなりそのままこの本であるように思うのです。初めてこれを読んでうわぁーこんな赤裸々に書いてしまう人がいるんだー! って思ったことは今でも覚えていますし、それでかなり作者さん自体に興味をもったことは事実です。もともとこの同人誌を買う前は戸松さんしかフォローしていなくて、完全に戸松さんの作品目当てで買ったものですが、そういう流れから面白い人を見つけられたのは嬉しいことです。正直買う前に各位のツイッターを確認した際には「軽薄なオタクっぽいなぁ」と思ったものですが、これがなかなか人は見かけによらないというか。実際長くツイッターを見ているとそれなりにそういう性質を持った人であることはなるほどわかるのですが。  作品内容に関して言えば、僕はそれほどまだ小説の力というものを実感してはいません。それこそが僕の小説を書かない理由だと思いますし、僕が諦めていないということの言い換えでもあるように思います。何かを諦めてそれでも良いことを頑張って探していくという感じのストーリーに対して、僕はまだ諦めきれていないのですね。いつか諦めるときが来たら、ひょっとすると僕は藍上さんと似たような振る舞いをするのではないかと思っています。その意味でもこの人に注目していきたいと思っています。  同人誌は作者と強く結びついている気がし、作品を読むと作者と僕の距離というのを考えてしまいます。具体的には、僕が人生をどの地点からやり直すとその作者さんのような感性を手に入れられるだろうかということを。その観点からすると、辻城さん、瓜羽さん、戸松さんあたりは多分生まれる前からやり直さないといけなくて、それだけ離れているからちょっと冷静な目で見ることができる面があります。一方この藍上さんなどは今の僕の延長線上にもありえる気がして、なんだか、こう、もどかしい感じがします。たぶんあまり知らないからこういうことを言えるのであって、当人についてちゃんと知ると案外似てないなという感じになるのだとは思いますが、まぁ今のところはそんなことしなくてもいいじゃないかという感じです。

おわりに

 この記事が誰に向けたものかは難しい問題となっております。一応作者の方々には読まれない前提で好き放題書いていますが、読者の方が検索で引っ掛けてくれるとも思えない気がしますし、一方でこの作品を読んだことのない人にはなにも伝わらない書き方で、果たしてこれはどういう意図で書かれたものなのか僕自身わかりかねます。しかし、一つのプライドとして、同人誌への金銭的な支払いは本作りが赤字にならないための経費であり、作品を読んだこと自体への対価は感想を書くこと以外ありえないのではないかということを考えています。作者さんに読まれることを意識するとどうしても嘘くさくなってしまうのが嫌で、こうしてひっそりと自分のブログに書くという形にしてしまいましたが、僕としてはここまででやっと一年半前のイベントが終わったということになります。ありがとうございました。

ニコニコ超会議の将棋企画

 今日はニコニコ超会議なるものの将棋放送を観ました。斎藤慎太郎六段とAperyがタッグを組んでponanza、nozomi、大樹の枝連合軍と指すという企画から見始めましたが、多数決による合議制がponanza単体よりも強いのかというのは微妙な感じでしたね。興行としては強そうに見せながらほどほどの強さに抑えることができるのでうまい手法なんだろうなと思いました。そうは言っても尋常じゃない強さであろう将棋ソフト連合軍を打ち負かした斎藤六段はやはりプロ棋士、異次元の強さを誇るのだということを改めて感じました。僕自身の棋力は将棋ウォーズでも初段になれないくらいのものなのですが、将棋ソフトが好きなせいでどうしてもプロ棋士の強さを過小評価してしまいがちであるようです。プロ棋士の方々というのは将棋が強いという一点で飯を食っていける恐ろしい人たちなわけで、わざわざ「プロ棋士へのリスペクトを忘れてはならない」と戒めるまでもなく本来ならばその強さを見ただけで自然と尊敬してしまうべきなのでしょう。僕がそうならないのは棋力が低すぎてプロ棋士たちの力を適切に理解できていないからなのだろうなと思います。勝負事が嫌いなので対人戦はあまりしないのですが、プロの凄さをより理解できるようになるという意味で棋力を高めたいですね。

 午前中には飛車と角はどちらが強いのかという企画を行っていたと後になってから知り、悔しさを感じながら番組のページを開いてみたら一般会員で予約してなくてもタイムシフトが見れるらしく、夜も遅くなってから見始めました。もともとはプロパンゴリラさんという人がニコニコ動画に投稿した動画がきっかけとなっていて、僕も氏の動画はほとんどすべて見たことがあるものですから、とうとう竜王と共演するまでになったかと驚きました。(芸のある)一般人が有名な人と同じステージに立てるというのは何かしら素敵なことであるように思います。夢がある時代だと思いますし、それをうまく活かせていない自分がちょっと嫌になったりします。ニコニコ及びニコニコ超会議が良いことばかりとは思いませんが、利用できるものは利用するのが正しいあり方なんでしょうね。企画内容そのものはやはり飛車が自由に動けるのが大きくて、駒組が制限されてしまう角側に対して縦歩取りを見せる急戦、堅く囲える持久戦のどちらでも飛車側が有利なのでしょう。竜王の切れ味鋭い発言が効いていて良い番組でした。