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ななぶん第三号 感想

『Vladmira』 戸松秋茄子

 単なるハッピーエンド、あるいは単なるバッドエンドではなく、筋は通っていてこれが最善のような気もするんだけどすべてが円満なわけではない終わり方、こういうところに作者の関心があるのだろうというのは、第一号からも読み取れるような点です。わかりやすい救いが存在しないような世界で、何もかも全部投げ出して終わりにしたいという気持ちがありながらもなんとか正しそうに思える行動を取るというのは、なにかしら重要そうだという直感は僕にもあります。もちろん、根拠がなくても善く生きるべきなのはなぜかという根拠は原理的に絶対わからないものなのですが……(この意味で、神は理性的に要請されるものだというのもわかる気がします)。
 それにしても本作はなかなか感傷的な描き方がなされていて、多少意外に感じるところもあります。心の揺れ動きに関するイメージとしては同作者のブログにある『ひとりごっこ』に近い何かを感じるようなシーンがいくらか見られるような気がしました(読んだのは結構前のことなので間違っているかもしれませんが)。たぶん、人とコミュニケーションを取ることはこの世の問題から少し目をそらす方法の一つであって、それがうまく出来ないキャラクターというのはこうなるのではないかという点が似通っているのではないかと思います。
 野球の描写満載ですし、そのへんはやりたい放題だなと。野球に詳しくない状態で読んだらどんな印象を受けるのか気になります(僕にはもう無理な話ですが)。あと名前的にバレンティ……が思い浮かんだりしたけど彼は頭文字がVではなくWですねなどとどうでもいいことを思ったり。さらに横道にそれると、作者が巨人ファンだったか阪神ファンだったかいつもわからなくなります。大阪の人というイメージが強いので虎党のイメージが入り込んでくるのですが、もし巨人ファンじゃなければ巨人ファンというイメージが混ざる余地がないからたぶん巨人ファンなんだろうなと思っています。(※あとがきに巨人ファンと書いてありました)

『蝶の羽ばたきのその後で』 辻城友兎

 長さの関係からか説明的にならざるを得ない感じだったのはちょっと残念ですが、アイデアが面白いしafter storyというテーマをうまく使えていると思いました。しかしこのafter storyというテーマはおしゃれに書こうとするとどうしても悲しい感じの話になりがちなのではないでしょうか。当然afterの前には何かメインのものがあったわけで、あえてメインではないものを描写するとなるとどうしてもそこに屈折したものが出てきそうだなと。ある意味それが僕らの人生というわけでもあるのかもしれませんが。

『エンドロール』 瓜羽

 料理に詳しくなさすぎてどの材料がどういう役割に当てられているみたいなことがさっぱりわからないすね。ううむ。しかしまたこれは全力で突っ走っているというかなんというか。ドラマとかそんな時間にやってるものなのかわからないし、そういえば料理番組も見たことがない完全に異世界。世の中にはこんな世界もあるのかみたいなよくわからない感想になりました。

『あめだま』 布乃々子

 一読して叙述系のトリックを疑ってしまい、慌てて読みなおすなどしてしまいました。いけませんね、どの作品にも仕掛けを疑う精神。
 一応悲しい話ではあるのかな。僕は正直あまり現在のものとかことにこだわる方ではないので、作中で一番悲しそうなキャラクターがあまり悲しそうな状況にあると思えないのですね。一方で思い出を大事にするような過去志向みたいなのも、なるほどそういうのがありえるのかという感じでして、世の中いろいろな感性があるのだなぁという感じになります。

『死神さんのノートと終わりの世界』 藍上踊

 こういう自意識ムンムンの小説最高じゃないですか。最高ではないですか。でもこれ商業誌でやられたらたぶん僕はあまり好きにならないんでしょうね。突然ですが僕は『Angel Beats!』を全く評価していません。でも今見直したら変わるかも。藍上さんの鬱屈が作品をまたいで登場する「ギフテッド」に込められているとするのは考えすぎでしょうか、僕の鬱屈を混ぜすぎでしょうか。僕はすぐいろんなことに「なにもわからない」と言ってしまいます。でももしかしたら物語を作れるのかもしれないなんて。はじめまして、自意識です。
 落ち着いて考えると、やっぱり技量が足りてないんじゃないかなと思います。やりたいことはわかる気がするけど。でも技量が高まったからってどうということでもないような気もします。とするとどうしようもない話をしようとしているのではありませんか。語れないことを語ろうとする、それはやはり語れるものをできるだけ列挙していって自然と語れないものが浮き彫りになるのを待つという営みなのかもしれませんね。作品に引きづられて感想も意味不明になってしまいました。

『ブルーフェイス事件のあとがき』 伊佐奈秋弥

 これはまた味がある感じで、主人公を失った主人公の振る舞いにスポットが当たるとは。after storyと言って暗い話を思い浮かべる人が多いみたいですが、この作品だと割と純粋な感じで「物語の再構成」みたいになっていませんか。after storyをそういうふうに解釈することもできるはずで、素直に良い感じだなと思いました。でもやっぱり少し話がとっちらかってる印象を受けまして(怪談部分とか実は具体的な内容描写いらないのではとか)、僕みたいな人間はもっと主人公だけに描写を絞って自意識バリバリでうぉーみたいなのが好みだったりします。まぁこれは好みの問題ですかね。
 無粋とはわかっていながら言いますが、もしかして132ページ上段12行目は的じゃなくて敵ですか。

おわりに

 第一号、第二号ではあまりテーマに沿った読み方ができなかったので今回はかなり意識しました。after storyですよafter story。でもやはり藍上さんとは一つ世代が違う感じなのでしょうかね。あるいは僕があまりそっち方面への興味がなかったというだけなのかもしれませんが。でもafter storyと聞いて僕が真っ先に思い浮かべるのは、物語が終わってすべての価値という価値に根拠がなくなってしまう世界ではあるのです。大きな物語の終焉とかそういうイメージです。価値はある、価値があるっぽいものはあるのですが、その価値の根拠が無い。僕は今の世界がそんな感じに見えるときがあるのです。そんな中では、やはり個人が物語を生み出していくしかないのではないでしょうか。そして僕はまだ現実の上で物語を生み出すことを諦めてはいません。いつか諦めるときが来たら、そしたら紙の上に物語を作り始めるのかもしれません。
 大変面白いアンソロジーでした。どうもありがとうございました。

ななぶん第一号感想(第三号直前に書いたもの)
ななぶん第二号感想(一年前に書いたもの)
ななぶん第三号感想(この記事)

ななぶん第一号 感想

『いつかまた、放課後の図書館で』 辻城友兎

 初めて読んだときも思いましたが、本を読むことと書くことの楽しさ、素晴らしさを素直に表現できるというのは本当に羨ましいことなのです。僕はどうしてもそこに無力さを感じてしまい、本を読んでいていくら楽しくても結局そこに意味はないと思ってしまいます。そうしたメタ的な視点はおそらく間違っているもので、この作品のようにそれ自体を楽しむことができれば一番良いのです。もしかしたら作者の方もそれをわかっていて自覚的に書いているのではないかと思うのですが、僕はそれが明示的に書かれていないと不安になってしまうのですね。だからやはりこの作品に対する一番の感想は「羨ましい」ということになってしまうのです。

『うたたねする灰色のペンギン』 瓜羽

 文章の真面目さがころころ変わるしすごく気分とかノリで書いてそうなのに作品として成り立つあたりが本当にすごくてきっと僕には真似できないなぁとか思ってしまいます。僕自身は小説なんて書いたことないけれど、同人誌を読むとどうしても自分だったらこれを書けるだろうかみたいなことを考えてしまいます。この作品に関しては多分狙ってやっても似たようにはならないしすごいなぁというのが正直なところです。でも羨ましいとは思いません。  本が別次元からの襲来者として立ち現われているのは面白いところです。それなのに主人公を案内してくれるのはこの世界なのです。僕らは本の世界にはいけないけど、本に導かれてこの世界を少し良い感じに生きることができるのかもしれません。結局生きることができる世界はこの世界以外にはありえないのですから。そうはわかっていても僕はこの世界にこの世界ではないものを生み出したいと思ってしまいます。それは多分僕がまだ若いからで、何がしかを諦めきれていないからで、こんな気持ちが死んでしまうのもそう遠い未来ではないのかもしれません。

 43ページ下段19行目は「テーブル席"に"座り」かなと思った。(脱字だとしてそれを指摘することに意味なんて無いと思います)

『ビブリオテーカー』 蔦井雪奈

 バチバチのライトノベルっていうのはこういう作品のことを言うんじゃないかと思います。現実のおかしなところを誇張して極端にしてストーリーと設定でバシッと見せる、これがかっこいいんですよね。でもやっぱりこの長さではいろいろ制限が厳しすぎて難しいのではないかなとも。

『your book』 戸松秋茄子

 最後の期待を捨てきれないところがとても好きです。やりきれない期待に身を焦がされるとかそういう人(らしきもの)の心の根本的な不完全さは深く追求していきたい話であります。その上でやはり僕は人間的な不完全さを超越するポスト・ヒューマン的な考え方にとらわれているような面があることは否定しきれないかもしれません。その意味で端末に宿る人格というのはひとつの超越的なあり方なのではありますが、人間らしさが残る限りやはり人間的な欠点からは逃れられなさそうです。人間性を超越するということはある意味今の人間から見た虫のようになることなのではないかと考えています(感想から離れてきた)。理屈っぽく話を作っていく作者さんみたいだしやはり第一感が間違ってなかったと思ったのが印象深いです。

『立ち姿の美しい女』 露木谷産

 僕はあんまりこの手の作品を読まないので、小説ってこういう書き方もできるんだーという感じになりました。私小説を書いているという体の小説というなんだかよくわからない構造を読み解く訓練をしたことがないので、本当はもっと多くの情報、面白さを読み込むことができるのだろうなぁと思います。やはり食わず嫌いせずにいろいろな本を読むべきなんだろうというのはわかっているつもりでもなかなか実行できたことではありません。そういう意味でこういうアンソロジーというのは新鮮で面白いですね。

『真夜中のキャノンボール』 二葉ケイコウ

 詩、なにもわからなくないですか。ペーパー? の方で藍上さんが「詩というのは、率直で良い」ということをおっしゃっていますが、これは率直なのでしょうか。率直という感覚がかなり違う気がします。何をどう読んでいいのかさっぱりですが、嫌いではないです。むしろ好き。

『選択肢の無い本』 藍上踊

 この作品こそ僕の考える「率直」な作品であります。冒頭いきなり嫌なことについて単に「嫌でしょ」じゃなくて「絶対に嫌でしょ」と言い出すあたりが最高です。もうなにもかもそのままじゃないですか。これを書いていて恥ずかしくならないんでしょうか。僕は読んでいるだけで恥ずかしくなってしまいます。twitterを見ていても少し思うのですが、僕はこの作者さんと近い部分があって、それっていうのがかなりそのままこの本であるように思うのです。初めてこれを読んでうわぁーこんな赤裸々に書いてしまう人がいるんだー! って思ったことは今でも覚えていますし、それでかなり作者さん自体に興味をもったことは事実です。もともとこの同人誌を買う前は戸松さんしかフォローしていなくて、完全に戸松さんの作品目当てで買ったものですが、そういう流れから面白い人を見つけられたのは嬉しいことです。正直買う前に各位のツイッターを確認した際には「軽薄なオタクっぽいなぁ」と思ったものですが、これがなかなか人は見かけによらないというか。実際長くツイッターを見ているとそれなりにそういう性質を持った人であることはなるほどわかるのですが。  作品内容に関して言えば、僕はそれほどまだ小説の力というものを実感してはいません。それこそが僕の小説を書かない理由だと思いますし、僕が諦めていないということの言い換えでもあるように思います。何かを諦めてそれでも良いことを頑張って探していくという感じのストーリーに対して、僕はまだ諦めきれていないのですね。いつか諦めるときが来たら、ひょっとすると僕は藍上さんと似たような振る舞いをするのではないかと思っています。その意味でもこの人に注目していきたいと思っています。  同人誌は作者と強く結びついている気がし、作品を読むと作者と僕の距離というのを考えてしまいます。具体的には、僕が人生をどの地点からやり直すとその作者さんのような感性を手に入れられるだろうかということを。その観点からすると、辻城さん、瓜羽さん、戸松さんあたりは多分生まれる前からやり直さないといけなくて、それだけ離れているからちょっと冷静な目で見ることができる面があります。一方この藍上さんなどは今の僕の延長線上にもありえる気がして、なんだか、こう、もどかしい感じがします。たぶんあまり知らないからこういうことを言えるのであって、当人についてちゃんと知ると案外似てないなという感じになるのだとは思いますが、まぁ今のところはそんなことしなくてもいいじゃないかという感じです。

おわりに

 この記事が誰に向けたものかは難しい問題となっております。一応作者の方々には読まれない前提で好き放題書いていますが、読者の方が検索で引っ掛けてくれるとも思えない気がしますし、一方でこの作品を読んだことのない人にはなにも伝わらない書き方で、果たしてこれはどういう意図で書かれたものなのか僕自身わかりかねます。しかし、一つのプライドとして、同人誌への金銭的な支払いは本作りが赤字にならないための経費であり、作品を読んだこと自体への対価は感想を書くこと以外ありえないのではないかということを考えています。作者さんに読まれることを意識するとどうしても嘘くさくなってしまうのが嫌で、こうしてひっそりと自分のブログに書くという形にしてしまいましたが、僕としてはここまででやっと一年半前のイベントが終わったということになります。ありがとうございました。

雑記

  • 日々頑張っている女の子が限界を迎えわんわんと泣き出してしまう漫画を読んだことがある気がするのですが、タイトル等の情報が全く思い出せません。何もかも投げ出して楽になることが本当に良いことだと思っていないからこそそういう行動を取れないわけで、善と苦が結びつき、悪と楽がセットで存在するとき前者しか選びようがない人というのは存在するものなのです。それは明確に苦行なのですが。泣きながらやっていくしかないこの世界のあり方を許したくはないのですが、これはかなり根が深く、人間そのものを揺るがしかねないのではないかと思っています。

  • 自分がツイッターに何を求めているのかがよくわからないし、それはこのブログについてもそうで、あるいは自分の行動すべてについてそうであり、とにかくなにもわからないという感覚が非常に強いです。石が坂を転がることと自分が何か行動をすることの間に明確な差異を見いだせません。でもそれ自体は絶望的なことでもなんでもなくて、絶望すること自体だって自由に出来ないわけですから絶望なんてできなくて、ただそうであることだなぁというだけの話なんですね。

  • 明日は第二十二回文学フリマ東京の開催日です。あまりやる気が高まっていませんがなんとか頑張って行きたいです。電車に乗るのが苦痛なのでそれが一番厳しい点なのですが。行かないとダメになる気がするのはなんででしょうか。できれば今から以前買ったものを読み返してみたいと思います。

  • 文フリのためアリバイ作りみたいな感じで記事を更新しています。これまで1年くらい触っていなかったり、記事内容に一貫性がなかったりですごく恥ずかしいですね。

ニコニコ超会議の将棋企画

 今日はニコニコ超会議なるものの将棋放送を観ました。斎藤慎太郎六段とAperyがタッグを組んでponanza、nozomi、大樹の枝連合軍と指すという企画から見始めましたが、多数決による合議制がponanza単体よりも強いのかというのは微妙な感じでしたね。興行としては強そうに見せながらほどほどの強さに抑えることができるのでうまい手法なんだろうなと思いました。そうは言っても尋常じゃない強さであろう将棋ソフト連合軍を打ち負かした斎藤六段はやはりプロ棋士、異次元の強さを誇るのだということを改めて感じました。僕自身の棋力は将棋ウォーズでも初段になれないくらいのものなのですが、将棋ソフトが好きなせいでどうしてもプロ棋士の強さを過小評価してしまいがちであるようです。プロ棋士の方々というのは将棋が強いという一点で飯を食っていける恐ろしい人たちなわけで、わざわざ「プロ棋士へのリスペクトを忘れてはならない」と戒めるまでもなく本来ならばその強さを見ただけで自然と尊敬してしまうべきなのでしょう。僕がそうならないのは棋力が低すぎてプロ棋士たちの力を適切に理解できていないからなのだろうなと思います。勝負事が嫌いなので対人戦はあまりしないのですが、プロの凄さをより理解できるようになるという意味で棋力を高めたいですね。

 午前中には飛車と角はどちらが強いのかという企画を行っていたと後になってから知り、悔しさを感じながら番組のページを開いてみたら一般会員で予約してなくてもタイムシフトが見れるらしく、夜も遅くなってから見始めました。もともとはプロパンゴリラさんという人がニコニコ動画に投稿した動画がきっかけとなっていて、僕も氏の動画はほとんどすべて見たことがあるものですから、とうとう竜王と共演するまでになったかと驚きました。(芸のある)一般人が有名な人と同じステージに立てるというのは何かしら素敵なことであるように思います。夢がある時代だと思いますし、それをうまく活かせていない自分がちょっと嫌になったりします。ニコニコ及びニコニコ超会議が良いことばかりとは思いませんが、利用できるものは利用するのが正しいあり方なんでしょうね。企画内容そのものはやはり飛車が自由に動けるのが大きくて、駒組が制限されてしまう角側に対して縦歩取りを見せる急戦、堅く囲える持久戦のどちらでも飛車側が有利なのでしょう。竜王の切れ味鋭い発言が効いていて良い番組でした。

AtCoder Regular Contest 050に参加しました

昨日行われたAtCoder Regular Contest 050に参加しました。
結果はA問題しか解けず、100点の259位でした。200点取れると順位がふた桁以内になるようなので頑張りたいところですね。
以下各問感想

A問題 大文字と小文字

最初A-Zとa-zは数字が続いているものと思っていたので入力をAとaで受け取ったとすると A - a == 26 とすれば判定できるのではないかとか考えていました。やってみると全然違う数字が出てきてしまったので、しばらく悩んだあと諦めて小文字の方にtoupper()を適用して比較しました。解説放送であったとおり A - 'A' == a - 'a' と比較すればスマートにやれたのですね。解説放送のコメントでXORを使うとかもありましたが、よくわからないですしまだそんなことを気にするレベルではないかなという感じもします。

B問題 花束

入力が{R,B,x,y}とあって、{(x,1)}の束をa個、(1,y)の束をb個作るとすると、できる花束の総数M M = a + b 個となるのでこのMを最大化すれば解けるのではないかと考えました。このとき、赤い花による条件は ax+b \leq R , 青い花による条件は a + by \leq B となり、b = M - a からbを消去すれば
{\displaystyle
M \leq R - a (x-1)
}
{\displaystyle
M \leq \frac{B - a}{y} + a
}
という不等式を両方満たせば良いことになるので、つまりaが定まったとき {\displaystyle
M = \min(R - a (x-1),\frac{B - a}{y} + a )
}
ということになります。  a = 0 から  a = \frac{R}{x} まで変化させたときの M の最大値を返せばいいのではないかと考えましたが、最大とする a を三分探索で求めようと実装していたところで時間が尽きました。この方針でいけるのかわかりませんが実装を速くしないと試せるアイデアが少なくてもどかしいですね。 解説では花束の数を与えれば二分探索で解けるとのこと。二分探索は数式に使える条件が増やせるし関数の返り値はbool型で良いしで、ぜひとも適用できるかどうかを見極める力を身につけたいテクニックですね。

C問題 LCM 111

愚直に処理をプログラム化しただけでは絶対通らないんだろうと思いつつも、ユークリッドの互除法の実装をしたことがなかったのでその練習も兼ねてということで小さいサンプルだけ通るようなものを書いて提出もせずに終了。ユークリッドの互除法は引数の2整数の大小関係を気にしない書き方ができるらしいのですが、いちいち大小関係見てスワップさせながらみたいな実装をしました。こういうところもなんとかしたいですね。書いたコードを他のコンテストで再利用するってどういう方法が最適なのかわからず、とりあえず今は手を動かすことを再優先にやっています。 解説を聞いたあとでも、多分うまく大きい数を関数でバラしていくあたりが実装できないんだろうなと思いました。まぁ慣れればなんとかできるんじゃないかと思いますが。

D問題 Suffix Concat

コンテスト中は問題文を読みすらしてなかったのですが、解説を聞く限りとても難しそうでまだ手の届くものではなさそうだなという感じです。

A問題のタイムアタックみたいな状況からは一歩抜け出したいですね。

ななぶん第二号 感想

いちいち語尾に「~と読み取りました」「~というのが僕の見解です」とかつけるのは鬱陶しいので省いていますが、ようするにそういうことです。
さらに言えば、僕は同人誌というものについてはどんな人がその作品を書いたのかを重視している面があります(Twitterとか事前に見て表層的ですが大まかなイメージは掴んでいるということです)。
 
 
『愛すべき妹たちのセカイのために』
最初は雰囲気を重視した物語かと思ったのですが、実は徹底的に世界観を大事にした物語だったのです。世界観を主張している作品です。
 
まず、この作品では大きく分けて2つのもの、家族と現実というものが扱われています。そして最終的に、現実と家族は果たしてどういう関係にあるのか、ということを探っていく作品なのです。この点において論理的に書かれているように感じます。
 
僕にとって家族という概念は役割というものと密接に結びついており、それはつまり既にあるもの、自分に関係ないところで作られて強制的に与えられるものだということです。その意味で、家族は虚構であるという感覚を強く持っています。僕自身は、虚構ではあれどそんなに悪いものじゃないと感じるのですが、虚構であること自体が悪であるという考えを持つならばそれは破壊しなければなりません。この考えにおいては、生成される順番は現実、家族、自分であるからこそ虚構である可能性が生まれます。
 
一方、この作品で主張しているのは、まさに現実そのものが家族と同じものであるということ、少なくとも境界が同じであるものだということです。現実と家族と自分は同時に生成されるため、虚構であるという可能性はありません。この3つをひとまとめにして名前を付けるならば、それが「セカイ」ということになるのでしょう。
 
この考えにすぐ賛同できるかと言えば、そうとはいきませんが、新しい考え方を提示してくれたという点で非常に面白かったです。
 
本筋については以上ですが、この作品はところどころで遊び心や個性が発揮されていて、そういうった点も楽しみながら読めました。専門分野を持っているとそこから生まれる発想というものがあるんでしょうね。
 
 
 
『冬は置いてけぼりを嫌った話』
キャラクターの背景をくどくどと説明することなく、テーマ、書くべきシーンにすっと入っていけるというのは同人誌、特にテーマの定められたアンソロジーの強みだと感じます。
兄弟間において下の子というのは難しいもので、現時点での比較と年齢を考慮した比較との2重の比較に挟まれてコンプレックスを抱きやすいような気がしてなりません。基本的に家族の話の中で、一枚外部を噛ませているのが、とても良いと思いました。全体見渡すと実はまともに家族のお話している作品が少なかったりするのでこの作品が1番手として最適なんでしょうね。
 
 
 
『二人ぼっちのフェアリーテイル』
創作らしい創作というのでしょうか、話の展開の仕方がきれいでわかりやすいのです。こういうタイプの作品を書けるかどうかは人によってくっきり分かれてしまうのでしょうね。(小説を書いたことはありませんが)僕には生まれ変わらないと書けないものだと思いますし、読むという点でも生まれ変わらないと最大限楽しめないものなのだと思います。僕は多少ねじくれてしまっているところがあって、こういう作品に対しては憧れと諦めが入り混じったすこし複雑な感想を抱いてしまうのです。
 
 
 
『飛ぶ家族』
世界の作り方と言葉の使い方、リズム感が良く、一瞬で引き込まれてしまいます。どうやったらこんなに面白い小説が書けるのか……。
と、まぁ読み始めて最初のうちは、素敵な設定の中で素晴らしい言語的センスが炸裂しているところに目を奪われてしまうのですが、実は家族の書き方も特徴的で、(作品の中において)完全に平和的な形で閉じてしまっているのです。どこまで狙って作ったのかはわかりませんが、もしかするとこういう書き方しかできなかったのではないか、みたいなことは邪推ですね。
とにかく楽しい小説でした。
 
 
 
『world's end island』
読む前にユリ熊嵐だとか新世界よりに似ているみたいな話を耳にしましたが、確かに映像的には新世界より的で、やりたいこととしてはユリ熊嵐的だと感じました(僕はどちらもアニメを前半までくらいしか観ていませんので間違った印象かもしれませんが)。ただ最後にはみんなが魔臼になったということは単に「チュウ」の気持ちではなく一般的に強い感情の発露を表すのかなとか、魔臼同士で争っているというのは何を表しているのかなとか、妹の立ち回りとかがちょっと読み切れていないのでもしかしたらもっと根本的な読み違えをしているんじゃないかと思って不安になります。今もこれを書くためにパラパラ読み直すだけでボロボロ読み落としていたところが出てきてひやひやしています。
この作者さんはブログでいくつか小説を公開していますが、僕が一番好きなのは『鼠を殺す』です。ネズミさん大活躍ですね。(ちなみに次点は『ひとりごっこ』です)
 
 
 
『あたらしい家族たちのセカイのために』
これは『愛すべき妹たちのセカイのために』を読んでいなくてもうまく読めるものなんでしょうかね。本質的に家族をプレイヤーでありながら作り上げていくという姿勢が変わっていないので前作の感想とほぼ一緒かなという感じですね。どの次元においてもやることは変わらないという意味で、やっぱり存在の話じゃないか、ということにしたいです。
 
 
 
『ring our bell』
Twitterを見て、パワフルにねじくれた小説を書くのかと思っていましたが、割と繊細で実直なもので少し驚きました。
自分と他人が分かれているからこそそこで相互作用を起こすことができ、その中において永遠の生が成立する、というよりもそもそも生というものがそういうものである、といった感じなのでしょうか。僕は存在大好き人間なので基本的に存在ベースで考えてしまいますが、こういう考え方もありなのかなーと唸っています。
家族小説として実に正統、真っ当、王道であり、締めにふさわしいですね。
 
 
 
僕より確実に学のある人たちに自分の感想ぶつけていくというのは大変怖いことですね。ここまで書いてなお、お蔵入りさせようか悩んでしまいます。しかし、作品を読ませてもらった以上何か報いたいと思いますし、お世辞やねぎらいの言葉よりかは感想を書くことがより良いの報いだと思いますので、挨拶はほどほどにして、これで感謝の代わりとさせていただきます。

文フリに行ってきました

モノレールは窓が大きく、余計な壁が無く、高いところを走るということで風景を見下ろすことができるためなかなか良いのです。川の横を走り抜けていくあたりが一番好きですね。それなりのスピードを出しながら曲がるときに傾くのもスリリングで楽しいです。全て半年前に一度味わったものですが、今回もまた同じように感じつつ、そんなこんなでまた東京流通センターへやってきました。
 
 
通販で買わずわざわざ会場に赴くのは、誰かに会いに来たわけではなくただ同人誌即売会の雰囲気が好きだからであり、どのイベントでも大抵の時間はふらふらと歩き続けています。何度も同じところを回ってしまうので不審に思われたら少し嫌だなぁとは思いますが、知らない人に不審がられたところでどうでもいいことなのですね。できれば透明人間になって会場の隅っこに座り続けていたいものです。
 
 
会場の空気は相変わらず粘っこくて、とても毎日は吸っていられないようなものでした。ある種の嫌な臭いも感じてしまう瞬間はあったのですが、それはきっと不可分なもので、しょうがないと受け入れるしかないのでしょう。やはり僕は身体というものが嫌いで、それがまったくない空間だったら良いのになと考えていました。
 
 
一応気になったサークルはメモしていったので、見本誌コーナーでいくつか見てみたのですが、その場で気に入って即買おうとなるものはありませんでした。結局同人誌というものは、作者の背景についてある程度知っているからこそ面白く見えるという面が大きいのでしょう。単純に質だけ考えるならプロの本を買えば良いのですから(文フリで本を出している人の中にはプロの方もいらっしゃるようですが)。テーマが尖っているものは多少興味を惹かれましたが、僕自身が尖っていない人間なので購入とまではいきません。残念な話です。
 
 
予定通り蒼葉中学第七文芸部OB会の第2号と藍上さんの3月に出された個人本を買い、あとはエアミスの第9号が、(読書量の少ない)僕が一番よく知っているジャンルの「ライトノベル少女小説から選ぶオールタイムベストミステリ」を特集していたので(バカミスも好きです)それも買って会場を後にするという感じでした。買った量に対して滞在時間がとても長く、なかなかの疲労感と共に家路につきます。
 
 
小説を読むという動作を1か月してこなかったわけですが、果たしてうまくできるのでしょうか。今から不安で仕方ありません。僕ももうちょっと余裕を持ちながら生活していきたいと思う一方、極限まで余裕を排除しようと行動している部分もあります。自分でも何がしたいのかよくわからないので、とりあえず本を読むことにします。